陀々堂の鬼はしり

kana: 
だだどうのおにはしり

修正会結願の行事。
鬼走りというのは、宮中の年中行事である追儺を模倣した悪鬼と疫病を払う儀式で各地に多く残されているが、陀々堂の鬼はしり行事の鬼は、追い払われる対象となる悪い鬼ではなく、阿弥陀如来に仕え災厄を除き福をもたらす善い鬼とされている。
鬼走りに奉仕するのは勧行僧の他、鬼役3名、火天(かって)1名、佐(すけ)4名、水天(かわせ)5名、貝吹き2名、太鼓打ち1名、棒打ち3名、鉦打ち1名など。
3匹の鬼は、斧を持つ赤い鬼が父鬼、捻木を持つ青い鬼が母鬼、槌を持つ茶色の鬼が子鬼で、それぞれの鬼面とそれぞれの色の法衣を着、手甲脚絆に草鞋履きといったいでたちで、その装束の上の足、腕、肩など16か所に観世縒(カンジョウリ)という紙縒を結び付けている[8][7]。この鬼の面が立派で、室町時代の文明18年(1486年)の墨書きがあるカヤ材の一木作りの3面ともほぼ同じ大きさの重量4.5kgほどのものだが、現在この面は文化財として保存されており、行事で実際に使われているのは1960年(昭和35年)に太田古朴氏に依頼して作られたヒノキ材一木作りの鬼面である。
14日は午後から大般若経の転読法要が行われ昼の鬼走りが始まる。鬼は松明を持つが昼は点火されない。同時に本堂の内陣、須弥壇裏の松の板壁を1mほどの長さの樫の棒2本でリズムをつけて叩く「阿弥陀さんの肩叩き」と呼ばれる棒打ちが行われる。
夜になると護摩が焚かれ夜の鬼走りとなる。迎えの小松明を先頭に鬼の入堂、読経が始まり、鉦、法螺貝、太鼓とともに棒打ちの音が堂内に響きわたる中、火天(かって)役による「火伏せの行」となる。堂の奥からエビ茶色の法被姿の火天が燃えさかる松明を肩に登場し、お堂の正面に立つと松明を振り上げ「水」の字を書くように振り回す。火の粉が飛び散り、水天(かわせ)役が手に持つ桶から笹竹で水をすくい、火天にかけて火をはらったり床に落ちた火の粉を消してまわる。堂を3回まわって行は終わり堂内はしばし静まる。
そのうちヒノキの生葉をいぶした厚い煙の雲が堂内に立ちこめ煙の中から棒打ちの音、法螺や太鼓の響く中、行事を取り仕切る差配(さはい)の指示でいよいよ最初の一番松明に点火、松明は佐(すけ)役の肩に担がれ父鬼とともに登場、鬼は一の戸口(北側)で松明を受けとると正面に来て左膝の上に置き、右手の斧を高く上げて見得を切る。続いて母鬼が二番松明で登場、鬼は二の戸口(中央)、三の戸口(南側)へと渡っていく。三番松明で子鬼が北の戸口に登場するときには父鬼は南の戸口、母鬼は中央の戸口と3つの松明が並びそれぞれが大きく見得を切る。松明は南の戸口から佐役により須弥壇裏を廻って再び北側に渡り、鬼たちの同じ所作が3周繰り返される。
堂内での火祭りは例が少なく初めて見る人はそのスケールの大きさに驚く。松明の炎は木造の堂の軒先をなめるように広がり、「火伏せの行」と同じく水天役が火の粉を消してまわる。これだけの火を集めるのだから神経を使うがこれまで火災になったことはない。阿弥陀さんの御加護だと地元の人たちは語る。
昔は3つの松明の燃え方でその年の米の出来具合を占ったという。一番松明が早稲(ワセ)、二番松明が中稲(ナカテ)、三番松明が晩稲(オクテ)と定め、一番よく燃えたものがその年の豊作をもたらすといわれていた。
鬼たちが堂内を3周すると、横出口から境内の右隅にある水天井戸に礼参りに行き松明を水に沈めて火を消す。行事はこれで終わりとなるが、鬼が体に結び付けている紙縒(観世縒)が禍除けになるというので、見物に来ている人たちがこの時に鬼の周りに殺到し奪いあいとなる。

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prefecture_er: 
city: 
五條市
place: 
念仏寺
Image: 
datetxt: 
1月14日

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