桶川祇園祭

元文2年(1737年)、桶川宿の上中町の中山道の通りの中央に、素盞鳴尊(古事記では建速須佐之男命)一族を祭神とする市神社を「天王社」として祀った記録がある。元文3年7月14日(1738年8月28日)に、家内安全を願って宿内のものが市神社の前に集まり、百八燈の灯籠を立てて燈を灯し、宿場内の疫病流行の退散を祈願した。
元文2年の市神社の創建から間もなく、水害厄難に襲われることが度重なり、11年後の寛延2年7月14日(1749年8月26日)、これらの被害を克服した宿の人々によって桶川宿の祇園祭が復興された。このときの祇園祭は華麗なものでこの祭りで初めて各町内の神輿が市神社前に勢揃いして、華麗で盛大な祭礼が行われた記録が残されている。
また、各町内で競って花台を登場させるなど、桶川祇園祭は一新され一層華麗なものになっていった。このように桶川の祇園祭は、桶川宿の中山道の中央に設置した「天王社」をお参りして「家内安全と宿場内の疫病流行の退散を祈願」して開催されたものである。
以後、桶川宿の人々は、毎年7月14日、15日を桶川祇園祭と定め、それぞれの町内が競って工夫を凝らして鉾山車・神輿・人形を製作して、華麗な桶川祇園祭を守り育ててきた。
現在は桶川祇園祭祭典委員会が主催する祇園祭で、5つの団体により運営されている。15時から21時まで、宿場内(埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線の上尾市境から北に向かった2つ目の信号(桶川宿の下の木戸のあった場所)から桶川市役所入口交差点(桶川宿の上の木戸のあった場所)の間、桶川駅東口駅通りと周辺の一部を歩行者天国にして行われ、多くの露店が沿道に並ぶ。交通規制時間前から各町会の区域内で神輿担ぎが始まる。15時頃の規制開始からは一部の山車の引き回しも始まる。又、薄暗く成りかかったころからは来場者も急増してくるため、夜になると祭りは盛り上がり歩行者によって中山道や駅通りは埋め尽くされる。連合渡御は中山道で、神輿担ぎ合わせと山車のひっかせは桶川駅入口交差点で行われる。

month: 
prefecture_er: 
city: 
桶川市
datetxt: 
7月