水口曳山祭

kana: 
みなくちひきやままつり

水口町は甲賀郡の中心部で、古来伊勢大路(都から伊勢の神宮への参宮道)が通る要衝として、また近世には水口藩の城下町、東海道五十三次の宿場町として栄えてきた土地であるが、江戸時代中期の享保20年(1735年)、水口神社の4月の上申日に行われていた祭礼に、当時の天神・天王・西町・東町・伝馬・悔町・新町・中町・美濃部の9ヶ村の氏子が町の更なる繁栄を祈願して曳山を新造・奉納したのに起源を持つ。寛延(1748-51年)以降に曳山の数を増し(およそ30基ほどが確認できる)、化粧も豪華なものへと変化していき、次第に近郷からの見物客を集めるとともに藩主加藤氏による桟敷見物も行われるなど発展し、甲賀郡唯一の都市型祭礼として水口神社例祭の中心行事とも、近江を代表する曳山祭礼の1つとも目されるようになった。明治以降祭日を太陽暦へ改めるとともに、祭式も何度か改変したため、近代風な祭礼へと変貌し、明治29年(1896年)には現行日(4月20日)を祭日とすることに決した。水口町の曳山(単に「ヤマ」とも称す)は二層露天式で、17町内16基の曳山が現存する。水口曳山祭では例年その中の5基から8基程度が奉納され、それぞれ2階部分に町内の故事に因むものや、能や歌舞伎を題材としたものをダシ(「出し」とも書く)として飾るが、近年ではテレビドラマやアニメといった、その年の流行物を題材にするものが多くなっている。

month: 
prefecture_er: 
city: 
甲賀市
place: 
水口神社
datetxt: 
4月20日